10月, 2014年

2014年ギャラリー椿ライブパフォーマンス「よみがえりの木」

2014-10-13

2014/10/11ギャラリー椿でのパフォーマンス「よみがえりの木」が終了しました。

 

初めに小林裕児による挨拶があり、パンフレットにもあるとおりこの展覧会がオペリータ

の挿入歌「よみがえりの花が咲く」(齋藤徹曲)のさとうじゅんこさんによる心に沁みる歌

声が小林裕児の中で「よみがえりの木」となり様々な絵画イメージとなって展開したこと、

そして1部ではこの展覧会のイメージで選曲されたプログラムがダブルコントラバスで歌

われ2部では小林裕児のライブペインティングがドイツからきたコントラバシストクリス

チャン・グラムスさん、齋藤徹さん、さとうじゅんこさんと共に行われることが告げられ

ました。

 

コトバが齋藤徹さんの曲を得、ダブルコントラバスの深く豊かな音に乗ってさとうじゅんこさんの
大地感あふれる歌声となって会場を満たした時、小林裕児の絵画は会場の空気と一体となり、
活き活きと語り出したのでした。

 

当日のプログラム

1部

1:河の始まり(詩:テオ・アンゲロプロスあるいはトニオ・グエッラ 曲;齋藤徹)
2:よみがえりの花が咲く(コトバ:乾千恵 曲:齋藤徹)
3;ぐるりおざ(オラショより)
4;最上川舟唄(新民謡)徹・じゅんこデュオ
5;とうきょう(高橋裕)セバスチャン・じゅんこデュオ
6;ひさかたの(紀友則ー古今集より・高橋裕)

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2部

ライブペインティング

小林裕児と出演者全員(パウル・ツェランの詩「コロナ」の朗読を起点として。

 

CORONA (1948)

Aus der Hand frißt der Herbst mir sein Blatt: wir sind Freunde. Wir schälen die
Zeit aus den Nüssen und lehren sie gehn:

die Zeit kehrt zurück in die Schale.

Im Spiegel ist Sonntag,

im Traum wird geschlafen, der Mund redet wahr.

Mein Aug steigt hinab zum Geschlecht der Geliebten: wir sehen uns an,

wir sagen uns Dunkles,

wir lieben einander wie Mohn und Gedächtnis,

wir schlafen wie Wein in den Muscheln, wie das Meer im Blutstrahl des Mondes.

Wir stehen umschlungen im Fenster, sie sehen uns zu von der Straße: es ist Zeit, daß man weiß!

Es ist Zeit, daß der Stein sich zu blühen bequemt,

daß der Unrast ein Herz schlägt.

Es ist Zeit, daß es Zeit wird. Es ist Zeit.

和訳2種

 

コロナ

 

ぼくの手から 秋はその木の葉を食べるーーぼくたちは友達だ。

ぼくたちは 時を胡桃の殻から剥いて出し それに行くことを教える

時は 殻のなかへ戻る

 

鏡の中は 日曜日だ、

夢の中は 眠っている、

クチは本当のことをしゃべる。

 

ぼくの眼は 恋人の性器へ下りていくーーー

ぼくたちは 見つめ合う、

ぼくたちは 暗いものを語り合う、

ぼくたちは 罌粟と記憶のように眠る、

月の血の光の海のように。

 

ぼくたちは 抱き合ったまま窓の中に立つ、かれらは ぼくたちを通りから見る。

知る時だ!

石がようやく花咲こうとする時だ。

焦燥の心が鼓動するときだ。

時となる時だ。

 

その時だ。

 

 

コロナ 原語はCORONA 本来ギリシャ語・ラテン語で「輪」あるいは「冠」を意味する語

であり、普通、絵画で聖像のまわりにえがかれる後輪、あるいは天体の太陽のコロナなど

を指す。

 

 

「光冠(コロナ)」  パウル・ツェラン

 

僕の手のひらから秋はむさぼる、秋の木の葉を――僕らはともだち。

僕らは胡桃から時を剥きだし、それに教える――歩み去ることを。

時は殻の中へ舞い戻る。

 

鏡の中は日曜日。

夢の中でねむる眠り。

口は真実を語る。

僕の目は愛する人の性器に下る――

僕らは見つめあう。

僕らは暗いことを言いあう。

僕らは愛しあう、罌粟と記憶のように。

僕らは眠る、貝の中の葡萄酒のように。

月の血を浴びた海のように。

僕らは抱きあったまま窓の中に立っている、みんなは通りから見まもる――

 

知る時!

石がやおら咲きほころぶ時、

心がそぞろ高鳴る時。

時となる時。

 

その時。

 

齋藤徹さんのHPからの抜粋

昼過ぎにじゅんこさんとリハーサル。本日の第一部用の選曲と試し。セバスチャンの譜面能力・
ジャズ的アドリブ能力(コードネームによるアドリブ)のお蔭さまであっと言う間に終了。

 そのまま京橋へ移動、ギャラリー椿にはいるや圧倒的な絵画のチカラがみなぎっていました。
なにしろ大作「よみがえりの木」以外は、新宿での個展以降の3〜4ヶ月でこれだけの数の新作
を描くのですから、裕児さん乗っています。最近はすこし身体が 不調だったといいますのでそれ
までに描いたのでしょう。ず〜〜っと乗っているので、これが常態なのでしょう。畏るべき絵画力、
想像力、あるいは、表出せず にはいられない衝動とそれができる能力。まさに絵画・美術的
ホモ・サピエンス。

2つの特徴的な新しい色、赤い翼、遠くからの光などなど長年の裕児ファンも知らないものが満載
です。期間内(〜25日)に訪れるべきでしょう。

まず、裕児さんが聴衆に話しかけます。曰く、生まれて初めてコンセプトに則った個展であること。
そしてそのコンセプトが乾千恵コトバ・齋藤徹作曲のオペ リータ「うたをさがして」であったこと。
「よみがえりの花が咲く」に打たれたこと、舞台装置としての「石」をつくった時のことなどが大きな
動機となってい ることなど説明。ひとつの動機からこれほどの展開があり、成果を生むことに感動
しました。千恵さんの撒いた種がどんどんと拡がって行き、花を咲かすことが 目に見えるようでした。
何かを提出すること、それを受け取ること、そして成長させることの素晴らしさ、そしてその元にある
人と人との信頼・関係、出会って いることの奇跡などを感じ目がクラクラしそうです。

予定通り演奏が始まりました。当然のように、絵に触発され、聴衆に触発され、リハーサルと違う展開
になっていき、自然に、長くなっていきました。じゅんこ さんのうた、2台のベースがのびやかに絵の中
に入ったり、絵のひと・ものを動かしたりしている感じです。わたしは乾千恵さんの書「音」を、滝野川の
おばば (中井さん)が藍染めをしたTシャツを着て臨みました。

休憩時間に大作の上にビニールと紙を貼り、第2部はLIVEペインティング。パウル・ツエランの詩
「コロナ」をまず、セバスチャンが朗読。お〜まさにドイ ツ語。いっぺんに雰囲気が変わります。
その後、じゅんこさんが和訳を朗読。その朗読が即興的に変容していくのに合わせるようにインプロ
とLIVEペイン ティングが始まりました。

最初に描いたものが赤い翼でした。翼もオペリータ「うたをさがして」の重要なファクターです。
石の翼・・・。裕児さんに翼のドローイングを描いて頂いたこともありました。私的にはアンゲロプロス
遺作「エレニの帰郷」の重要なファクター第3の翼にもリンクしていきます。

セバスチャンもじゅんこさんも裕児さんの筆先から片時も目を離さずにいます。ミラーニューロンを
考えてもこれって大事なことです。絵の中に登場した2人が なにかコトバを言いたそう、うたを歌いたい
そうに見えました。すばらしい一時でした。

 

 

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