7月, 2016年

6月27日中ノ沢美術館

2016-07-11

「土神と狐」中ノ沢美術館
6月27日齋藤徹ブログより転載

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土神と狐 再再演 @中ノ沢美術館(赤城山)

小林裕児(絵画・ライブペインティング)広田淳一(演出)内田慈(女優)齋藤徹(音楽)の3回目は、
山深き中ノ沢美術館で行われました。

賢治さんのこの作品にはドイツ由来のコトバがたくさん出てきます。曰く、望遠鏡を独逸のツァイスに注文
していたり、ハイネの詩集、ロウレライ、黄金の秋な どなど。賢治さんの舞台は独逸の森に似合います。
決してフランスやイタリアではありません。ゴーシュの金星オーケストラも注文の多い料理店も独逸の森に
こ そ似合います。
4〜5月、デュッセルドルフでライン川沿いを何回か散歩しました。近くの有名なケーキ屋にはロウレライの
日本語の訳が書いてある商品がありました。恐ろし い物語であるロウレライを今回は慈さんに歌詞付きで歌
ってもらいました。曰く「くすしき魔歌(まがうた)うたうロウレライ」。魔歌に引き寄せられるように 物語は展開
します。勧善懲悪では有り得ません。

実際に森に住む裕児さんが言うには、人の手が入っている境の森、が舞台になる。なるほど。人の手が入っている
自然こそ素晴らしいというちょっと聞くと自然 主義に反するようなことも実際はあるわけです。森が森として成り立つ
のは、人の手が入っている場合が多いとのこと。宮本常一さんもそのようなことを言って いた記憶があります。
理想の夢見るお花畑ではないわけです。田畑も、肥料成分を考えてこそ豊饒としてくる。雑草を刈ってこそ
実がたわわに実る。

NPO法人20年という希有な美術館である中ノ沢美術館に到着する少し手前にあるのが、「クローネンベルク」と
いうドイツ村だったのでした。まさしく今回の出し物を演じるには最高の状況です。

再再演にまでなったきっかけはいくつかありますが、初演の1週間程前に慈さんが一念発起して、この物語を暗誦
してきたことがありました。もともと「演じ語 り」という形式で行けば良いかと始まった企画でしたが、慈さんが覚えてきた
ことで状況は一変しました。脚本として書かれていない物語を暗誦することは大変 ムズカシイ。土神、狐、樺の木という
登場人物の語りわけにプラスして、もう一人のキャラクターを広田さんは設定してきていました。

慈さんの情熱に引っ張られて企画が進み、再演、再再演、(11月には4回目も予定)と進んできたのです。こういう
展開は好きです。必要以上のエネルギーが 次の芽に繋げていく、思いも見なかった世界が展開するのです。
必要最低限の関わり方では決して起こりません。こうやって物事は創造的に繋がるのでしょう。 全てのことに当てはまる
気がします。

前日入りして、1回半通し稽古、皆が森に刺激されて、「攻め」の方向に進みました。良い感じです。
近くに一泊して翌日に臨みます。

暑いくらい快晴。会場には、朱色以降、緑が基調の大作4点が並びます。壮観です。「浸水の森」「よみがえりの木」
「地底湖」「谷間にて」。地底湖の上に見える地上、それと似た形をした中ノ沢美術館のペンタゴン。いやがうえにも想像力
が刺激されます。

予想を遙かに越える90名近い人々が集まってきています。凄いエネルギーが集まります。前回、裕児さんのライブ
ペインティング(劇が始まる前に舞台美術を 描いてしまうという趣向)では、演劇の中身と関係の薄いバッハの無伴奏1番・2番
とやりましたが、今回は、重なっても良いから、ペインティングと密に関係 していこうと決めました。裕児さんの集中力と聴衆の
集中力に乗せられるように目一杯演奏しました。(スタッフの話によると、途中でトイレに行く人が皆無と いう稀に見る
状況だったとのこと)

裕児さんの絵では大変珍しい「横向き」互い違いの土神と狐でした。最初に地べたにあらわれた土神の眼を観た時ゾッとしました。
なぜか砂沢ビッキさんの土の中で朽ちていくトーテムポールを思い浮かべました。

舞台美術が出来、慈さんにボディペインティングを施しました。これがまさしく入れ墨のようでした。模様がちょっとアイヌの
紋様に似て、さらにアニミスティックな雰囲気が溢れます。

慈さんもトップギアでぶっ飛ばします。常連の方が何回観ても泣いてしまうと言うエンディングのカタチも決まり、凄惨な物語も、
森の中へ戻すことによって、寓話に戻して私たちも聴衆も日常に戻りました。

ありがとうございました!と全方位に向かってお礼を言って帰りましたとさ。

「新生」第39巻夏号「論壇」小林裕児記事

2016-07-11

見ること眺めること        小林裕児 画家

 

今年になって数年の間勤めていた大学が定年になり元の絵描きに戻りました、およそ勤め人の生活とは
縁のない暮らしだったので社会生活とはどのようなものか、少し頓珍漢な対応もあったようなのですが何とか
勤め上げることができました。

さて絵描きの暮らしですが森に囲まれた我が家を中心に半径一キロ、高低差百メートル程の範囲をウロウロ
しているのです。ジーベルニーに自分の絵画制作用の庭を造ってしまったモネほどではありませんが山あり
森あり田畑ありといった日本中どこにでもある平凡だけれど豊かな里山の匂い、景色が広がっています。
ちょっとした谷間や何気なく生えている小さな木、水を張った田の水鏡に映った小さな森といった具合です。
僕の絵の背景はそんなところから得ることができるのです。

そんな僕の絵なのですがこのごろよく不思議な絵だとか、一体どのように発想しているのかと聞かれます。

最初に舞台装置、その後で絵の中の舞台に上がるべき想像上の様々な葛藤を抱えた人や動物たちを記憶の
引き出しの中から画面に呼びだすのです。一見脈絡のないもの同士のようにも見えますが彼らは絵の中で僕の
意思を無視するように自分たちのドラマを演じ始めるのです。

これには一つの体験が背景にあります。若い頃明るい森の雑木山の中で落ち葉に埋もれて寝ている老人に出

会いました、促されて僕も寝てみたことがあります。背中を直接ひんやりとした地面に接し落ち葉のカサカサとした
暖かい布団に包まれると、思ってもいない感覚が訪れ、自然の風貌が大きく変容したのです。見る位置によって
風景が変貌するだけでなく、気配を消した僕の前に初めて見る小さな鳥が現れ耳元まで寄って来たのです。
森の本当の営みが僕の前に出現しました。以来僕の絵は、上から見たり下から横から正面からと自在な視点が
入り込み、僕が描いたにもかかわらず勝手に動き出す人や動物たちと対話をしながら描くというようになりました。
一方画面の外の少し離れたところにもう一人の自分がいて、絵を描く自分を眺めているといったちぐはぐな感じを
いつも持っています。

「眺める」について思い出すことがあります。まだ美術も音楽も舞踊も演劇も一体だったはるか昔、旧石器時代の
ショーベケーブの洞窟絵画のことです。おそらく洞窟では季節的に訪れる狩猟の成功を祈ってシャーマンの下、
松明の明かりを頼りに皆一体になって祈り、踊り、歌い、絵を描いたのでしょう、それを眺める者はいませんでした。
そんな昔のジャンルなんかない表現行為が今あるような形になったのはいつからでしょう。

ずいぶん昔に素晴らしい一冊の本との出会いがありました、J・Eハリソン「古代芸術と祭式」(筑摩学芸文庫)で
古代ギリシアの春踊りから演劇が分離される様子を生き生きと再現していました。おおざっぱに言いますと、豊穣を
祈る毎年の春踊りの輪から抜けだした人物がいて、踊りの輪を外から眺めた時にそれは始まっただろうというのです、
つまり批評的な鑑賞者がいて初めて(見る―見られる)の関係が成り立ったというのです。目からうろこといいますか、
それまで漠然と思っていた僕のような表現者の立ち位置が明らかになったのです。

新生会の施設にはたくさんの絵画や彫刻が置かれています。表現者(見られる)と、それを眺める人(見る)の間に日々
何かの関係が生まれる時、それこそが芸術が生まれてくる場となります。

見られ鑑賞されることによって、絵は絵になるのではないかと思います。

創り出された作品が見る人たちの広場となるような絵でありたいと

僕は願っているのです。

 

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