10月, 2016年

2016~2017髙島屋連続個展パンフレット

2016-10-11

森の入り口近くに移り住んで20年になります。

近年その入り口を通って地区最高地点(海抜200m)のタカンド山まで
往復するのが大切な時間となりました。森に入り、森から出てくる時、
私は不思議な感覚に襲われます。それは異界から人間世界へと入れ換わる
境界を通るといった感覚でしょうか。アトリエで絵筆を持ったまままどろむ時、
境界に住む画家の見る不思議な夢が、いつのまにか画面に影を落としている
ように思えるのです。

2016年9月    小林 裕児

 

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森の出口近くはポッと明るく見え、木々の間から人里の匂いや、犬の鳴き声、
遠く電車の響きが聞こえて不思議な幻想を浮かび上がらせます。一人森を
歩くのは異界の中を行く緊張があり、出口を見た時に、ふっとそれがほぐれる
からでしょうか、さっき森に入ったばかりなのに何年も前の事のように全てが
懐かしくまた新鮮に見えるのです。

私の家の下に小さな溜池があり、何の気なしに眺めていると水草や小魚を
目当てに、どこからかカルガモやコガモ、巨大なアオサギがやって来ます。

池の土手にのんきに寝そべるウシガエルや高い木のてっぺんをゆさゆさ揺らし
て飛び立つ鳥たちが、古いおとぎ話に出てくる罰が当たって変身させられた
男女かも知れないと考えると、ちょっと怖くもあり愉快でもあります。

夜の絵は昼の絵と同じように私にとって大切です。以前から何枚も描いてきま
したが、夜空の色に今一つ満足できませんでした。ある時、通いの骨董店で
変わった藍染め布を見せてもらいました。藍の上から蘇芳を重ね染めした深い
色の布でした。それがきっかけになって赤(マルーン)の上に薄く藍色を重ねて
暖かみのある夜の色をつくりました。

溜池から流れ出た水は美しい谷津田に引き込まれます。田植の頃には水鏡
となって、夜の屋敷林からひそかに漏れる窓灯りを写し、帰宅途中の私は車を止め
て飽かず眺めていたりしました。新しい夜の色は、そんな心情によく合っていました。

昨年の秋から私の作品の前で宮沢賢治の物語「土神と狐」を音楽と語りで表現する
パフォーマンスを続けています。一本の美しい樺の木をめぐる土神と狐の葛藤の
物語は、異界に住む生き物たちが繰り広げる幻想に満ちた世界で、どこか私の絵と
通底するように思え何度も公演を繰り返してきました。

樺の木に横恋慕する嫉妬深い土神は水が染み出てじめじめした谷地に住んでおり、
そこは『谷地のふちに沿った細い道を大股で行く』樵が通り、『騎兵の演習らしい
パチパチ』という『鉄砲の音がきこえ』る人里近くが舞台です。

私の家の前は、左に森の入り口、正面には溜池、右には何枚かの水田が続き、
その先は開けた平たん地に畑と集落が点在しています。そしてこの地形が土神の棲む
谷地とよく似ていることにはじめて気づきました。

数年ばかりの勤め人暮らしを終え、ほぼ毎日、森と集落の間の小さな谷地を眺める生活
に戻ってきました。「帰りなん、いざ」です。

谷地は丘陵が水によって浸食された浅い谷です。丘陵の森から染み出た水で湿地が
でき、水利を使って盛んに稲作がおこなわれました。しかしそれもはるか昔のこと、
近年では宅地開発で追われた貴重な生き物がひっそり生き抜いている場所と言われ、
近くに住む私も絶滅危惧種かと感傷的になっておりました。ところが我家の前の
谷地では、地中のミミズを追いかけてイノシシが大暴れ、セイタカアワダチソウがはびこって、
やたらと元気で騒がしく、近所の農家ともども必死の草刈りで汗まみれの生活となっています。

「土神と狐」の中に、美しい樺の木が狐からハイネの詩集を借りる場面があります。
『そのハイネの詩集にはロウレライやさまざま美しい歌がいっぱいあったのです。』と書かれて
いました。何か気になって調べてみると、よく知られているローレライの曲以外にリストと
クララ・シューマンの作曲したものがあり、なかでもクララの曲は不安と熱情に満ちていて、
「土神と狐」の悲劇的な結末と不思議に合っています。船人の男を誘って川に沈める妖女と
美しい樺の木が重なって見えるとき、この三角関係の物語が一筋縄ではいかない事を感じ
させ、ひょっとして賢治はハイネの詩集からヒントを得てこの物語を書いたのではないかと
推測したくなります。

シラカバ、カシワ、スギと木に魅かれて私は絵を描いていますが、木の前に顕れて来るのは
何故か女性が多く、私も妖女に誘われているのではないかと本気半分喜んでおります。

あらためて目前の景色を見直してみると、大昔から人の暮らしが谷地によって支えられてきたと
実感させられます。私が楽しみにしているハ竹や真竹の筍も、栗の実りも、ムカゴの収穫も
ずっと昔から続く人の喜びと繋がっていたようです。向かいの森に残る廃屋は何よりの証し
だったのでしょう。

今はもう人が入らなくなった森や、荒れるに任せた竹藪で、変わらぬ声で梟が啼きます。
森の様々な住人と人間が触れ合った谷地と呼ばれる境界に、消えてしまったはずの息吹だけが
今も残り、私の画面に活気に満ちた情景として浮かんでくるのです。

時に私は、広々と広がる平地へと出かけます。殺風景なフェンスで囲まれた溜池があり、
コガモやハシビロなどの水鳥が騒がしくひしめいています。一通り鳥たちの生態を観察し、
それなりの納得感を抱いて帰路に着きます。遠くに住み慣れた谷地を囲む森が見え、
近年建てられた携帯電話のための塔が景色に現代を映します。私は未来を想像するのも
好きですが、形となって現れるのは、どこかで見た記憶の雑然としたコレクションから出てくる
ものばかりです。それらを変身させ思いもよらぬ世界が現れるのを驚きとともに楽しんでいます。

 

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