Archive for the ‘Essays’ Category

第95回春陽展の制作過程を本年も公開します。

2018-01-16

20181/1/6 273×350cm パネル完成。

 

2018/1/14正月以来取り組んできた大きな構想がまとまる。
今年も家族の紐帯と解体をとして取り上げる。
ここ数年は夜のイメージだったが今年は白昼を舞台としたい。

 

1/15日制作開始、木炭であたりを取り始める。

制作の進行につれて制作過程をアップします。

 

目の前のあすなろの天辺にアオサギが留まっていた、参加してもらおうかと思う。

それにしても今年は寒い。

 

1/18  下描き完成 罫書き線を入れる(ダイヤモンド罫書き)

250番の紙やすりで表面を削り落とし平らな表面をつくる

 

1/23 油彩による下塗り開始、黄土、ライトレッドなど

 

1/27  下塗り終了、空、水、家の城等はそのまま残す予定。

 

「彼方・・牧歌劇」アフリカのタパ/ミックストメディア 98×140cm

1/29 二日ほど絵具を休ませるために4月開催のBギャラリーでのRita Yannyとの二人展出品のドローイング作品を制作、「パストラル」という共通のキーワードを設けたのになぜか渦巻く風の中さ迷う女性が・・・唐十郎の「秘密の花園」寺島しのぶの妖艶な…。

 

Bギャラリーは僕が敬愛するフランク・ロイド・ライト設計の自由学園に隣接しておりそれはRitaの住むマディソン(ウイスコン洲のキャピタル)がフランク・ロイド・ライトゆかりの地で彼の聖地と言われるタリアセンは郊外の豊かな田園の中に存在し、マディソン市内には数多くの住宅やユニタリアン教会などが残されている。僕自身森の精気を浴びながら田園地帯に住んでいることもありこのキーワードを設けた。

 

1/31計画にしたがってテンペラ緑土+チタニウム白絵具を置いてみた、なんとなく描いてみた背景の山の形が20年前に住んでいた五日市町(現あきる野市)の我家から西方に望見していた北条氏の出城があった城山の形に似ていることに気が付いた。

 

2/1五日市の「城山」を取材

この日月蝕も観察

 

2/3 テンペラバーントシェナで全体の明暗バランスをとる

 

 

2/5 6月大田原下駄箱展蝋型原型制作「二人」

 

2/6 Bギャラリー2人展蝋型原型制作「パストラル」

 

2/8 下手手前の樹木から描きはじめる何層にもわたって絵具を塗り重ね今回はハイライトまで描き入れた、

一部派の形態から自立した光の戯れを追う事になった。

 

2/14 上手前の樹木を描き終え遠方の山から描きはじめる。

 

 

2/14 Bギャラリー出品予定の作品の制作も始める

 

 

 

 

 

 

 

 

2017年11月11日 日本橋三越本店ライブパフォーマンス

2017-11-17

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11月11日午後3時、アコーディオン熊坂路得子、コントラバス齋藤徹と共に、ライブペインティングを始める。

 

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三者とも全て即興での取り組みとなる。
私はなぜか馬の絵を描きはじめる。

 

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荒馬を乗りこなす女性像を目指す。
単色によるドローイングより始める。

 

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背景をブルーによって引き立たせることを試みた。

 

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二人の力強い演奏に呼応してリズミカルに絵を描き進める。

 

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最後にマゼンタの手綱を一気に描き、完成へと向かう。

 

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完成図。

 

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当日の出演者一同。

 

即興によるライブペインティング

小林裕児

 

観客のあついまなざしを背に受け非日常の「ハレ」の時間と空間に身を任せドローイングの線描に託し即興演奏者たちの時間が支配するパフォーマンスとのセッションを試みてきた。まずは目の前に拡がる平面の向こう側に向け長い棒に括り付けた刷毛で点苔を置き仮想の絵画の場を置く、その時点でほぼ真っ白な自分を確認することが出来る。ライブペインティングの場合、事前の余計な準備は場の空気に竿を指すというか頭の中の小人にイメージを借りるようで何か後ろめたいのだ。むしろ「エイ」とどこに向かうとも決まらぬうちに画竜点睛を置くことからから始めてしまった方が身体性を抱えた絵画の時空の中に身を置くことになるのだと思う。ちょっと無責任な言い方かもしれないけれどセッションによるパフォーマンスは演者、会場の空気そのものが僕の絵をどこかへ連れていってくれる、その意味で線的に連なる時間の中で立ち顕れる他の演者の音、会場のざわめきやちょっとした事故などはありがたい。それらはその場その時だけの出会いの高揚感を引き起こし目の前に立ち顕れる僕の絵に底知れない化学変化を引き起こすかもしれないのだ。

1999年以来毎年数回、様々な会場で音楽家、舞踏家、歌手、俳優と試みてきたパフォーマンスはもしかしたらはるか昔真っ暗なショベ洞窟の奥でクロマニヨン人たちが繰り広げてきたパフォーマンスへの先祖がえりかもしれないと思っている。

2017 蔵と現代美術展 川越市小川長町倉庫

2017-11-05

2017/11//3~11/23

蔵と現代美術展 川越市小川長町倉庫

一昨年に次いで2度目の参加になる蔵と現代美術展に今回は2013年制作の谾(こう)と2点の立体作品で参加しました、廻船業でにぎわったこの街にふさわしい出船をモチーフにしたこの作品は高さが350cm あり画廊空間では展示がむずかしく今回是非この大空間に置いてみたかったのです。

作品を置いてみるとギャラリーの空間とは違う長い時間の中でおのずと備わった場の力に後押しされた僕の作品は様々な意味をはらみ実に居心地良く佇んでいました。

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森の人

2017-10-19

奥深い森のなかに住まい、木々と戯れる小鳥たちとのポリフォニックな合唱を日々楽しんでいた小人族のムブティーが初めて開けた世界にふれた時の話が伝わっています。

なんと疾走する列車を見た時に「矢が飛んでくる」と言ったそうです。
森の狭い視界の中では「遠い」は無かったのでしょうか。

私も森に囲まれた暮らしを長く続けたせいか遠くと近くがあいまいになりとまどう事があります。
しかしそこは私にとって絵画のイメージの入り口なのです。

うさぎの穴に落ち込んだアリスではありませんが絵そらならではのちょっと緩い空気の流れる小林裕児の世界を少しでも楽しんでいただけたら幸いです。

2017年 日本橋三越本店 小林裕児と森に寄せて

「森へ向かう」 初期のテンペラ時代から現在の大作まで

2017-10-19

初めて会場を訪れたとき、敷地内にあるビオトープを案内していただきました。井戸からくみ上げられた水が小さな小川となって巡りたくさんの木や草が茂っていました。ほとんどが私にとってなじみ深い植物ばかりでした。

森と40年以上も接して生活してきたのですから当然かもしれません。あらためて私の創作の背景を占める森について深い感慨を持ちました。

いつも親しく私の絵に現れてくる森の木々や鳥たちはどこから来たのでしょうか…そんな考えを巡らしていると、森へと向かった私の創作人生の幸福を感じてしまいます。

株式会社ヤマト本社 1階 ギャラリーホール 個展に寄せて

美術の窓7月号掲載記事

2017-06-20

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2017「未明(みみょう)」春陽展制作過程

2017-04-13

未明(みみょう)」2017/2.204.06制作過程 

274.5cm×350cm  パネル/テンペラ、油彩

2.20

2月20日 シナベニヤ6枚組パネル+天竺木綿+μグラウンド下地 木炭による自由なドローイングによる全体の構想がほぼ固まり制作が始まる。

 

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木炭ドローイング細部。

 

2.22

2月22日 馬上の人の顔を改作

 

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同日 罫書き線を入れた後、防塵マスク等完全防備の上、

#240紙やすり+テレピンで表面を平滑にする。

 

2.28

2月28日 油彩の黄土色、藍色の上にテンペラ焼シエナ土による下地、最後まで白く残す部分は下地を作らない。

 

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3月2日 アトリエの情景

 

3.03

3月3日 とりあえず高所の樹木から描き出してみる。

 

3.06

3月6日 未明の情景と定め小豆色のマルーンによる空を実現してみる。

 

3.15

3月15日 遠景より手前に徐々に描き進める、緑土、ナポリ黄。

 

3.27

3月27日 景色が固まり絵面が現れ人物を描き始めた。

 

4.05

4月2日 小豆色のマルーンや朱、カーマインと瑠璃色(ラピスラズリ=ウルトラマリン)を対比させながら制作を続けることになってきた、遠くから近くへ、近くから遠くへと画面の中を行き来しながら描き進める。

 

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4月5日 地面の色、間近の杉の樹木群、塔、雲を持つ男等あえて最後まで詰めを行わなかったものたちを一挙に描ききる。

 

4月6日 画面の外手前にあるものも画面に押し込めるようにして春陽展の搬入日を迎えた。

 

柔らかな星のない夜の未明、下手に佇んでいる雲を持つ男の見守る中、近く、遠く、高く低く、様々な物語が繰り広げられます、彼らは静かに、あるいは激しく、一見無関係に反時計周りの円環あるいは螺旋の中、今という時を送っているのです。

 

 

 

舘 寿弥氏 第94回春陽展中川一政賞 推薦理由

 

第94回春陽展中川一政賞は展賞推薦委員会が4月18日全作品展示後、新美術館内の会議室で開かれ審議の結果舘 寿弥氏に決まりました。

舘寿弥氏は長い春陽会人のキャリアの中で一貫して絵画素材のありように深く惹かれ試行錯誤と実験を積み重ねてきました。そのモノクロームの画面は独自の空間認識に基づく多様なテクスチュアに支えられた蠱惑的な世界で、観る者を思わず画面の前に佇みたくさせる絵画世界を生み出してきました。

その思弁的な抽象世界はやや晦渋とも思えるとともに、手練れの冴え冴えとした手業がやや先行しているかのようにも思えました。

しかし氏は近年長く培ってきた方法をいったん零に戻すかのようなイノセントでファンダメンタルな方法を取り始めました。紙とインクによる微小なパターンの繰り返しという単純で一種作業的な方法です、これは画面に時間を埋め込むという風通しの良い方法ともいえます、果たしてこれで絵画が成立するのかとも思える方法ですが舘氏は長大な時間をかけ画面と向き合ったのです。始まりが有り終結しえない世界こそ作者の意図するところでしょう。

今回の出品作「領域」M100は作者のこうした意図を極限まで押し広げたかと思わせます。我々にとって無限とも思える時間の連鎖、その一部を見事な密度感を持って可視化し得た作品が中川一政賞となりました。

第94回春陽展中川一政賞は展賞推薦委員会

文責 小林裕児

2016年ギャラリー椿個展が終了しました。

2016-11-18

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11月5日(土)ライブパフォーマンス
宮沢賢治作「土神と狐」
出演 内田慈/アコーディオン 熊坂路得子/演出 広田淳一/作曲 齋藤徹/
振付 ジャン・サスポータス/ライブペインティング 小林裕児

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2016~2017髙島屋連続個展パンフレット

2016-10-11

森の入り口近くに移り住んで20年になります。

近年その入り口を通って地区最高地点(海抜200m)のタカンド山まで
往復するのが大切な時間となりました。森に入り、森から出てくる時、
私は不思議な感覚に襲われます。それは異界から人間世界へと入れ換わる
境界を通るといった感覚でしょうか。アトリエで絵筆を持ったまままどろむ時、
境界に住む画家の見る不思議な夢が、いつのまにか画面に影を落としている
ように思えるのです。

2016年9月    小林 裕児

 

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森の出口近くはポッと明るく見え、木々の間から人里の匂いや、犬の鳴き声、
遠く電車の響きが聞こえて不思議な幻想を浮かび上がらせます。一人森を
歩くのは異界の中を行く緊張があり、出口を見た時に、ふっとそれがほぐれる
からでしょうか、さっき森に入ったばかりなのに何年も前の事のように全てが
懐かしくまた新鮮に見えるのです。

私の家の下に小さな溜池があり、何の気なしに眺めていると水草や小魚を
目当てに、どこからかカルガモやコガモ、巨大なアオサギがやって来ます。

池の土手にのんきに寝そべるウシガエルや高い木のてっぺんをゆさゆさ揺らし
て飛び立つ鳥たちが、古いおとぎ話に出てくる罰が当たって変身させられた
男女かも知れないと考えると、ちょっと怖くもあり愉快でもあります。

夜の絵は昼の絵と同じように私にとって大切です。以前から何枚も描いてきま
したが、夜空の色に今一つ満足できませんでした。ある時、通いの骨董店で
変わった藍染め布を見せてもらいました。藍の上から蘇芳を重ね染めした深い
色の布でした。それがきっかけになって赤(マルーン)の上に薄く藍色を重ねて
暖かみのある夜の色をつくりました。

溜池から流れ出た水は美しい谷津田に引き込まれます。田植の頃には水鏡
となって、夜の屋敷林からひそかに漏れる窓灯りを写し、帰宅途中の私は車を止め
て飽かず眺めていたりしました。新しい夜の色は、そんな心情によく合っていました。

昨年の秋から私の作品の前で宮沢賢治の物語「土神と狐」を音楽と語りで表現する
パフォーマンスを続けています。一本の美しい樺の木をめぐる土神と狐の葛藤の
物語は、異界に住む生き物たちが繰り広げる幻想に満ちた世界で、どこか私の絵と
通底するように思え何度も公演を繰り返してきました。

樺の木に横恋慕する嫉妬深い土神は水が染み出てじめじめした谷地に住んでおり、
そこは『谷地のふちに沿った細い道を大股で行く』樵が通り、『騎兵の演習らしい
パチパチ』という『鉄砲の音がきこえ』る人里近くが舞台です。

私の家の前は、左に森の入り口、正面には溜池、右には何枚かの水田が続き、
その先は開けた平たん地に畑と集落が点在しています。そしてこの地形が土神の棲む
谷地とよく似ていることにはじめて気づきました。

数年ばかりの勤め人暮らしを終え、ほぼ毎日、森と集落の間の小さな谷地を眺める生活
に戻ってきました。「帰りなん、いざ」です。

谷地は丘陵が水によって浸食された浅い谷です。丘陵の森から染み出た水で湿地が
でき、水利を使って盛んに稲作がおこなわれました。しかしそれもはるか昔のこと、
近年では宅地開発で追われた貴重な生き物がひっそり生き抜いている場所と言われ、
近くに住む私も絶滅危惧種かと感傷的になっておりました。ところが我家の前の
谷地では、地中のミミズを追いかけてイノシシが大暴れ、セイタカアワダチソウがはびこって、
やたらと元気で騒がしく、近所の農家ともども必死の草刈りで汗まみれの生活となっています。

「土神と狐」の中に、美しい樺の木が狐からハイネの詩集を借りる場面があります。
『そのハイネの詩集にはロウレライやさまざま美しい歌がいっぱいあったのです。』と書かれて
いました。何か気になって調べてみると、よく知られているローレライの曲以外にリストと
クララ・シューマンの作曲したものがあり、なかでもクララの曲は不安と熱情に満ちていて、
「土神と狐」の悲劇的な結末と不思議に合っています。船人の男を誘って川に沈める妖女と
美しい樺の木が重なって見えるとき、この三角関係の物語が一筋縄ではいかない事を感じ
させ、ひょっとして賢治はハイネの詩集からヒントを得てこの物語を書いたのではないかと
推測したくなります。

シラカバ、カシワ、スギと木に魅かれて私は絵を描いていますが、木の前に顕れて来るのは
何故か女性が多く、私も妖女に誘われているのではないかと本気半分喜んでおります。

あらためて目前の景色を見直してみると、大昔から人の暮らしが谷地によって支えられてきたと
実感させられます。私が楽しみにしているハ竹や真竹の筍も、栗の実りも、ムカゴの収穫も
ずっと昔から続く人の喜びと繋がっていたようです。向かいの森に残る廃屋は何よりの証し
だったのでしょう。

今はもう人が入らなくなった森や、荒れるに任せた竹藪で、変わらぬ声で梟が啼きます。
森の様々な住人と人間が触れ合った谷地と呼ばれる境界に、消えてしまったはずの息吹だけが
今も残り、私の画面に活気に満ちた情景として浮かんでくるのです。

時に私は、広々と広がる平地へと出かけます。殺風景なフェンスで囲まれた溜池があり、
コガモやハシビロなどの水鳥が騒がしくひしめいています。一通り鳥たちの生態を観察し、
それなりの納得感を抱いて帰路に着きます。遠くに住み慣れた谷地を囲む森が見え、
近年建てられた携帯電話のための塔が景色に現代を映します。私は未来を想像するのも
好きですが、形となって現れるのは、どこかで見た記憶の雑然としたコレクションから出てくる
ものばかりです。それらを変身させ思いもよらぬ世界が現れるのを驚きとともに楽しんでいます。

 

「土神と狐」宮沢賢治作によせて

2016-09-13

宮沢賢治「土神と狐」に寄せて  2016/9/13

 

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私の家は小さな谷地の奥の小高い所にあって、窓から眺めると、左には森の入り口がこんもり
とした暗がりをのぞかせ、正面にはその森から流れ出た水を貯めた小さな池があります。
右には何枚かの谷田が続き、すっかり木の葉の落ちた季節だけ木々の間から遠くに一軒の
農家を見とめることが出来ます。

「土神と狐」の冒頭を読むと、あまりに我家と似た風景に驚かされます。
一本の美しい樺の木をめぐる土神と狐の葛藤の物語は、深い森の中が舞台ではありません。
木こりが山へと向かう道筋、練兵場のパチパチという鉄砲の音が聞こえてくるような人里の近くなのです。

私はよく森の入り口を通って裏手の小さな山のいただきまで往復します。

森に入り森から出てくる時、なぜか不思議な感覚に襲われます。それは異界から人間世界へと
入代わる境界を通るといった感覚でしょうか。

「森の入り口」で繰り広げられる異界の物語、そのあまりの人間臭さに境界の持つ不思議な力の存在
を感じないではいられません。

 

「土神と狐」のパフォーマンスは4回目の再演となります。いつも私の絵とかかわりながら公演しています
が、公演の度に深まりを見せ、自身の絵画表現にも少し変化が起こっているようです。

今回もあらたな挑戦がありとても楽しみです。

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