「たまはん」の時間と空間とは
多摩美術大学版画専攻の学生たちと時間を共有する何年かが過ぎた、私が一人の画家として
作家を目指す学生たちに提案した基礎実技は、受験の桎梏自縛から自らを解放し、それぞれの
ネイティブな感性に出会い、自立した表現者として立つ道筋を探り当てることを目標と定めた。
まずは学生達の脱力を目指して現代コンテンポラリーダンスの有能な踊り手の一人である上村
なおかさんにお願いし「からだ」のワークショップと生きたダンスによる「ムーヴィング」の授業を中心
に据えてカリキュラムを編成してきた。
実は平面に絵画空間を成り立たそうとするときに突き当たる我々の視覚世界は一筋縄ではいか
ない様々な矛盾と錯覚、錯誤の中にありそれは、はるか昔洞窟絵画を描いてきた先人以来重要な
絵画表現上の課題であった。この課題には受験時代に教えられ獲得した一元的な絵画技術では
たどり着く事が出来ないのである。まずはそれに気付き、様々なカリキュラムに触れる中で「視る」
「描く」の行為を通じての思考実験や、表現、創造の実践の場として絵画・版画を制作する事の提案
であった。
一個の表現者として自己表現のドグマに迷い込むことなく
制作にとりくみ、様々な造型上の課題に目の前に存在する平面と向き合いながらそれぞれが欲する
絵画空間の中にそれらを据え自問自答することを中心にして欲しいと考えた。
もとより「版画」と言い「版表現」という絵画世界は特殊な表現を除けば平面上のミクロ単位の
厚みしかない世界であり水性木版であれば紙の繊維に潜り込んで留まった顔料や染料のことで
あろうし、リトグラフであれば表面と同化した表面そのもので、インクのテクスチャーとしての
インパストを残す銅版といえども指の腹で僅かに認識出来る程度のものである。
制作には必ず版を媒介する為に絵画の様々な要素を分析、分解する高い思考能力とともに
表面に出現するに違いない僅かな差異をも見逃さずに感受する繊細な感性が求められる。また
それを研ぎすます中で自らの表現に至る独自の技術体系への工夫が求められるだろう。これを
学生たちは四年ないしは六年という限られた時間の中で獲得して行くのである。
学生たちは様々な事が待ち受ける実人生にこれから乗り出す、その中で創作の現場から
離れる者もあるだろう、しかしこの空間と時間、いわば真空の学びの中で過ごし、友に出会い自らを
見つめ切瑳琢磨した何年かは自らの内側に畳み込まれ記憶されるだろう。またあるものたちは
自ら生み出した表現に磨きをかけ、あるいはあらたな展開を遂げ優れた表現者となり我々の前に
たち現れるだろう。
何れにしてもこの閉塞した時代の空気を切り裂く表現者の何人かがこの場と時間を共有した
ものたちの中から出てくるのを待ちたい。
多摩美術大学絵画科版画専攻教授 小林裕児
この記事へのコメントはありません。