見ること眺めること 小林裕児 画家
今年になって数年の間勤めていた大学が定年になり元の絵描きに戻りました、およそ勤め人の生活とは
縁のない暮らしだったので社会生活とはどのようなものか、少し頓珍漢な対応もあったようなのですが何とか
勤め上げることができました。
さて絵描きの暮らしですが森に囲まれた我が家を中心に半径一キロ、高低差百メートル程の範囲をウロウロ
しているのです。ジーベルニーに自分の絵画制作用の庭を造ってしまったモネほどではありませんが山あり
森あり田畑ありといった日本中どこにでもある平凡だけれど豊かな里山の匂い、景色が広がっています。
ちょっとした谷間や何気なく生えている小さな木、水を張った田の水鏡に映った小さな森といった具合です。
僕の絵の背景はそんなところから得ることができるのです。
そんな僕の絵なのですがこのごろよく不思議な絵だとか、一体どのように発想しているのかと聞かれます。
最初に舞台装置、その後で絵の中の舞台に上がるべき想像上の様々な葛藤を抱えた人や動物たちを記憶の
引き出しの中から画面に呼びだすのです。一見脈絡のないもの同士のようにも見えますが彼らは絵の中で僕の
意思を無視するように自分たちのドラマを演じ始めるのです。
これには一つの体験が背景にあります。若い頃明るい森の雑木山の中で落ち葉に埋もれて寝ている老人に出
会いました、促されて僕も寝てみたことがあります。背中を直接ひんやりとした地面に接し落ち葉のカサカサとした
暖かい布団に包まれると、思ってもいない感覚が訪れ、自然の風貌が大きく変容したのです。見る位置によって
風景が変貌するだけでなく、気配を消した僕の前に初めて見る小さな鳥が現れ耳元まで寄って来たのです。
森の本当の営みが僕の前に出現しました。以来僕の絵は、上から見たり下から横から正面からと自在な視点が
入り込み、僕が描いたにもかかわらず勝手に動き出す人や動物たちと対話をしながら描くというようになりました。
一方画面の外の少し離れたところにもう一人の自分がいて、絵を描く自分を眺めているといったちぐはぐな感じを
いつも持っています。
「眺める」について思い出すことがあります。まだ美術も音楽も舞踊も演劇も一体だったはるか昔、旧石器時代の
ショーベケーブの洞窟絵画のことです。おそらく洞窟では季節的に訪れる狩猟の成功を祈ってシャーマンの下、
松明の明かりを頼りに皆一体になって祈り、踊り、歌い、絵を描いたのでしょう、それを眺める者はいませんでした。
そんな昔のジャンルなんかない表現行為が今あるような形になったのはいつからでしょう。
ずいぶん昔に素晴らしい一冊の本との出会いがありました、J・Eハリソン「古代芸術と祭式」(筑摩学芸文庫)で
古代ギリシアの春踊りから演劇が分離される様子を生き生きと再現していました。おおざっぱに言いますと、豊穣を
祈る毎年の春踊りの輪から抜けだした人物がいて、踊りの輪を外から眺めた時にそれは始まっただろうというのです、
つまり批評的な鑑賞者がいて初めて(見る―見られる)の関係が成り立ったというのです。目からうろこといいますか、
それまで漠然と思っていた僕のような表現者の立ち位置が明らかになったのです。
新生会の施設にはたくさんの絵画や彫刻が置かれています。表現者(見られる)と、それを眺める人(見る)の間に日々
何かの関係が生まれる時、それこそが芸術が生まれてくる場となります。
見られ鑑賞されることによって、絵は絵になるのではないかと思います。
創り出された作品が見る人たちの広場となるような絵でありたいと
僕は願っているのです。
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