「日中文化交流」紙 2010年12月1日NO.774号掲載エッセイ
第四回「北京ビエンナーレ」に参加して 小林裕児
これぞ中国という壮大な北京空港のオレンジ色の大天井を後にして迎えのバスに乗ると、これもまた北京ならではの大渋滞にまきこまれ宿舎の北京飯店まで延々とノロノロ状態が続いた。前回の北京ビエンナーレはオリンピック直前の七月で、建設途中の建物が連立し喧噪のさなかだった。今回は九月、暑すぎる東京から来て一層落ち着いた感じに見えたが完成した建物群の巨大さに決して変わることのない中国文化の大陸的な感性をあらためて感じた。
翌日はオープニングセレモニーが北京市中国美術館で行われた。
展示会場は広く作品は多く時間は少なくということで、前回は落ち着いて見ることができなかったのでどうしたものかと途方にくれていたら、池田良二氏より「自作の前に立っているといいよ」との当たり前で大変有効なアドバイスをもらった。
私は今回273cm×350 cmの油彩画大作「森へ」と、古い渋紙に描いたドローイング「嘆きのコロス」を出品したのだが早速「森へ」の前に立ってみた。この作品はあまりに大きいので中央から二つに分け、二枚のパネルをつなげて展示するようにとの指示書を付けて送ったのだがやはり中央上部のつなぎ目にかなりな段差がついてしまっていた。
4メートルもの高さがあり到底自分の手が届く場所ではなく困惑しながら中国人スタッフに拙い英語で話しかけてみた。すると「ああ、あの大きな赤い絵ですね、大丈夫直しておきますよ。」と流暢な日本語が帰って来た。アジアの交流と思っても、英語はもとより韓国語しかり、中国語はさらにむずかしい。ほっとして話を続けると日本に留学し今回いっしょに出品された黒崎彰氏に師事したとのこと、それにしても流暢、そしてそういう人がいるからこそ交流がなりたつのだなとつくずく感心してしまう。
話は戻るが、自作の絵の前にいると様々な人が声を掛けてくれる、中国人はもとより、モンゴル、ペルー、韓国、等々、絵が持つ「見ればわかる」という利点を実感し嬉しい気もした。
北京ビエンナーレは平面と立体作品が大部分を占め、アジア、アフリカ、ラテンアメリカの作家たちの力のこもった興味深い作品を多数見ることができる。経済的にはまだまだ苦しい状況にある地域の作家たちがエネルギッシュに制作している様子をうかがう場として大きな役割を担っていると思う。
滞在最終日、紫禁城見学に出掛けたが、国慶節前のにぎわいか天安門広場の人出には度肝をぬかされた。上野の国立博物館を何重にも取り巻く入場者の列も懐かしいが、ここではその百倍千倍とも思われる人々が集まり、物を売る人の声、案内のスピーカーの声、交通整理の声が行かい何とも言えない活況と喧噪が生まれていた。
早々にその場を去り、大通りを避け裏に回ると、大きな柳に彩られた疎水がゆったりとながれ、屋根瓦も古びた清朝時代のままの建物があり、人もまばらで嘘のような静けさに包まれていた。「北京は秋がいい」の言葉そのままの美しい景色であった。