「牛肉店帳場」(1932年第10回春陽展出品作)の前で考えた様々なこと
『木村荘八は僕の仲人でね・・・』というのが春陽会の大先輩を身近に聞いた初めでした。私がまだ学生だった頃、中谷泰先生から伺ったのです。名前は少し前に永井荷風の「濹東綺譚」を読んでその卓抜な挿絵で知っていました。その後春陽展に私自身も出品するようになり、先輩たちから少しずつ木村荘八のことを聞かされ興味を持つようになりました。
木村荘八からは挿絵を思い起こす向きが多いと思いますが、私はなんといっても油絵の大傑作「牛肉店帳場」に魅かれます。フューザン会出品作である20代前半のフォーヴィズム風の作品や草土舎の作品、晩年の風景や庭を描いたものは散見しているものの、いずれも比較的小さな作品が多く、是非この大作をと思い長野にある北野美術館に出かけて行きました。
「牛肉店帳場」はこれも大きな「浅草寺の春」と並んで大変良いコンディションで展示されていました。
作品を実際に見て先ず感じたことは、ぐっと胸に迫る、ある感触、生動する感覚でしょうか、思わず佇んでしまう強い吸引力でした。
それはどこから来るのか。どのような背景を持っているのか。尽きない興味を覚えました。
そして様々な文書に目を通す中で、実はこの作品は、荘八が多くのものを失った後に発表されたことを知りました。
第一にいろは牛肉店そのものが失われていました。荘八の父が始めたこの店は、維新後肉食に目覚めた明治の日本人に大いに受け、21もの支店を持つほどに繁盛しました。
父、木村荘平は各支店の切り盛りを自身の女たちにまかせました。その一人の庶子として荘八は生まれました。何不自由ない生活も父の急逝後次第に傾き、大正の初めにいろは牛肉店は姿を消してしまいます。
さらに大正12年関東大震災が起き、親しんだ浅草十二階凌雲閣の崩壊をはじめ浅草界隈は大きく被災してしまいます。明治から大正へと変化しつつも、江戸文化の名残が色濃く残り、歌舞伎や人形浄瑠璃などの芸能にどっぷりと浸って育った荘八の懐かしい街並みを一挙に失ってしまいました。
最後で最大の喪失は昭和3年の岸田劉生の死です。商家に生まれ商人になれと言われて育った荘八でしたが、4才上の同腹の兄荘太等の影響を受け画家への道を歩みだしました。そんな明治45年の暮れ19才の時に日比公演で荘八が写生をしていると岸田劉生が声をかけてきたのです。 以来顔を合わせない日は無いというほどの親交を続け、一心同体と言っても良いほどの深い付き合いがはじまりました。後の春陽会創設後の別れの経緯からみても、荘八の中に大きな存在位置を占め続けていたに違いありません。
劉生の死はそうした青年期の模索の時代の終了を意味していました。そして劉生の死後3年にして木村荘八画「牛肉店帳場」は生まれたのです。
いろは牛肉店、浅草界隈、岸田劉生、自己形成にとって最も大事だったものが全て失われた喪失感はいかばかりだったでしょう。阪神大震災、東日本大震災を経験した私たちにとっても想像の及ぶところです。しかし大事なものを失ったからこそ、逆に自身の拠って立つ場が何であるかをはっきりと意識したのではないでしょうか。「牛肉店帳場」は「懐旧」の情を最初の動機としながらも、荘八絵画の新たな始まりを明示する作品として生まれてきているように思えます。画面に見られる生き生きとした生動感は、荘八が描くべきものをしっかりと手にした確信と喜びから来ているに違いないと思うのです。
その後に続く永井荷風「墨東奇譚」から「東京繁昌記」の挿絵、「新宿遠望」をはじめとする幅広い絵画世界の展開をみればそれは明らかでしょう。
さて実際に絵の前に佇んでみましょう、先ずは階段の途中で行き違う二人の女店員の姿が目につきます。こちらを向いている女性の体の旋回のリズムが階段下奥の女店員へとつながり、画面の一番奥、帳場に座っている荘八その人と思える人物へと自然に視線が誘われます。それぞれ巧みなデッサンで方向性を与えられた人物はS字を描くように観るものを奥へ奥へと案内してくれるのです。帳場に座る荘八は、線遠近法の消失点(階段を上る女店員の袖と鏡の下線との交点)から左へ水平移動した所にある、階段によって斜めに区切られた直角二等辺三角形の障子の白を逆光として配置されています。そこに至る前にトンネルのような暗部があるので、その存在がさらに際立ちます。
目をこらすとさらにその奥まで見渡すことが出来るようなのですが、その刹那私たちは手前に呼び戻されます、そしてざわざわ、生き生きと店員たちが立ち働く店の中に客として入り込んでいるのです。
この不思議な感覚にはもう一つの仕掛けがあります。それは階段の踊り場に荘八のいた店にはなかったはずの鏡が置かれている事です。これによって本来壁であった画面の右側にも鏡による奥行きが出来、と同時にその鏡は絵の外の空間をも映し出すので、観る人が場所ごと画面内に取り込まれてしまうのです。
ちょっと込み入った話になってしまいましたが、荘八のこの絵には後の挿画へと繋がる絵画上のいくつものアイデアも見てとれるのです。と同時にその鮮烈な色彩、特に赤の美しい発色と階調にも注目しなければなりません。計算された明暗のコントラストの中、暗部の暖かい色の含みの豊かさはどうでしょう、そこには重層された絵の具が生み出す、生き生きとした表情や明暗の妙味が、油彩画の魅力を十全に引き出しているのです。
ここに描かれているものは洋館でもなく洋装の婦人でもありません。黒光りする木の床を持った日本建築の店と、着物の裾さばきも鮮やかな日本髪の女たちです。荘八にとっての「世界」を切り取って油彩で描き切った傑作です。
明治末から大正の初め、青年木村荘八はモダン東京の象徴だった、浅草十二階の上から自らの世界を度々眺めています。そこで得たと思われる、画家ならではのやや俯瞰的な視線は、晩年の「新宿遠望」まで一貫し、豆粒のように見える自らの世界をモチーフとしました。
ある時は豆粒の中に入り込み、また時にはちょっと外側から、まるで人形浄瑠璃を見る(聞く)ように表現するその視点は「牛肉店帳場」の計算され客観性を込めた構築にも見え隠れし、現代に生きる私たちにとっても示唆と魅力に富んだものとなっています。
画家 小林裕児
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