僕の散歩コースである森の中に少し昔の住居跡がある。巨大な樹木が枝葉を広げ、
地面を這う蔓草が圧倒的なエネルギーでその空間をおおい尽くそうとしている。
片隅に、ぽっかりと陽光を浴びて怪しげな紫色に輝くトリカブトが咲いていた。
こんな場所に立つと何故か森の声を感じてしまう。木の化身である美女や鬼、山姥に
出会ったり、「真夏の夜の夢」や「注文の多い料理店」の物語が生まれたことも
納得できてしまう。
僕の絵も活力に溢れツヤツヤと元気な森から生まれ来ている事を願ってやまない。
雨は木々を伝って地中に集まり泉となって流れ出し、水平を求め川となって低地へ向かう。
そのエネルギーは大変なもので、段差が大きければ滝となり、透明な色さえ粉砕され純白化し、
霧状の水滴となってあたりに冷気(霊気)を漂わせる。
帽子を奪い合う男たちの熱気はこの場所にこそ似つかわしい。
アラスカからアリューシャン列島に住んだアリュート族が使用した
バイダルカという舟を描きたいと常々思っていました。アザラシ
など怪獣の皮で出来ていて、川筋から違う川筋へと舟を運ぶ時に
便利な軽い舟です。彼らもまた森を抜けて舟を担いで
歩いたのでしょう。
けれど画面に現れたのは女が背負うには重い黒い舟でした。
しかも船上には羽を付けた男が乗っています。腰に腕をまわし
力をこめて女は舟を担います。
ポーランドで有名な塩の鉱山ヴィエリチカを訪ねた。昔、坑道を支えるために
大工達が造った巨大な支柱が、塩を付着させて暗闇に白く浮き出て夜の森を感じた。
そこに、消えかつ存在する少女の命を置いてみた。
僕の描く少女は好奇心と行動力に満ち、邪気と感傷の間を揺れ動き、森と人間のあいだ
をいつも気ままに行き来している。
昔、今は亡き友人が博物学者「南方熊楠」と作家であり思想家である「ソロー」という人
をはじめて僕に教えてくれました。その時から森は、杉、ナラ、クス、トチ、ブナという
ように固有の名を持つ木々の集まりとして見え出し、森に棲むケモノや鳥の名を知ることに
熱中しました。
それほど多くの名がイキ物につけられているという事は、名付ける必要があった訳で、
森に生きた人間の膨大な歴史を知りました。
やがて人は森を出て草原に住み、畑を耕し家畜を飼い、町をつくりました。
草原には人の生活と葛藤が散らばって見えます。楽しくもあり哀しくもあります。
けれど僕は背後に森をしょって生活しないとどうにも落ち着かない。
大分前から僕は森に囲まれて暮らしています。森はいつの間にか僕の絵に侵入し、
森について考えるようになっていました。そんな中でカリブ海文学に出会ったのです。
カリブの島々にはかつて大量の黒人奴隷がアフリカから連れてこられました。
彼らの或る者たちは過酷な労働から逃れ逃亡奴隷となって未開のジャングルに
踏みこみました。そこでネイティブな島の住民と出会ったのです。森に棲む彼らの
自然に対する膨大な知識を吸収融合し逃亡奴隷たちは全く新しい文化を創り出しました。
「怪談」でおなじみのラフカディオハーン(小泉八雲)の小説「ユーマ」はその時代の
カリブの小島マルチニックの様子を生き生きと伝えています。
彼らの生み出すものを一括りにすることは出来ないのですが、根底に交じり合い日々変容
する様々な言葉の中でつくられた圧倒的な森のイメージがあります。僕が温帯の日本にいて
漠然と感じている森の活力、折があれば我々の生活圏を侵し一気に飲み込んでしまうような、
背後にカリブ発祥の怪物ゾンビを孕んだ、自己完結的で騒がしい森の力です。
ぼくの絵の登場人物達も何かゾンビのようなゾワゾワしたものを背負い自らの物語世界を
日々生きる者達であってほしいと願っています。
森を歩くと様々な形状の木に出会う。藤蔓に巻かれて異様なねじれを幹に刻み成長する木、
光を求めて湾曲する木、異種の木が接合してしまった木。それらを見ていると、かわいそう
だの健気だのと感情移入してしまう。
絵画に多く描かれた上半身と下半身が大きくねじれた身体を美術史家のヴァール・ブルグは
怒り、恐怖、悲しみを現す情念定型と言った。歌舞伎にも出てくる「身をよじって泣く」
姿もこの例と言える。
僕の絵にはこの姿がよく出てくる。
一見淡々とした僕の日常だが、社会に渦巻くザワザワとした風が、僕の奥底に猛烈なよじれを
起させているにちがいない。
ポーランドに滞在中はトラムという路面電車によく乗った。赤くレトロな雰囲気が可愛い
電車だった。通りの両側には木々が美しく繁る森があり、緯度が高く乾燥した気候のせいか
落葉樹が多く明るく見えた。
帰国したとたん乾燥しきった肌に水が浸み込み生き返るのを感じた。あれほどうっとおしく
思えた日本の湿気は、実は身体には好もしいもので、暗く湿った日本の森と僕の体はしっかり
つながっていることを思い知らされた。
夜の森は湿気に満ち黒々と艶やかで、ポッと開けた空き地にどこからともなく着く電車の駅
があった。
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