田中 岑さんを偲ぶ 小林裕児
2014年4月、画家はアトリエに静かに横たわっていました。日々絵具と戯れていたに違いないイーゼルの前に。
ふとふり返るとその昔、初めてアトリエを訪問した折に何か強い力で吸い寄せられたその絵「画室」はずっとそこに懸かっていました。
画家はまばゆい光を捉えようとドアーを少しだけ開け部屋の中に散光する光を招き入れたかったのでしょうか。
その詩感とでも名付けたくなるような微妙な色の閾値の中にあるすべらかな絵肌の朱による世界、見る者は親しく仄暗い部屋の中に招き入れられその気配の中に誘い込まれます、やがて暗闇に目が慣れるように壁際に置かれた岺さんのベッドにたどり着くのです。
しかし驚かされたのはアトリエに残され、日々場所を変えながら眺めていたという幾つかの小さなキャンバスでした、そこには明らかに画家の定めた閾値の外にある強い対比を意識したと思われる不思議な色斑が置かれていたのです、キャンバスだけではありません、その色はイーゼルにまで拡がっていました。
もしかしたら岑さんは今一度何らかの変貌を遂げようとしていたのかもしれません。
僕は絶筆となった第91回春陽展出品作「陽と生命の光」の事を思いました。
お嬢さんの良(やや)さんが記録した映像によればこの絵に描かれた二つの太陽は実は最初ひまわりだった。
以前83回春陽展にも「日輪」と題するひまわりと太陽が合体したと思われる絵を描いているのでかなり長い時間をかけ熟成したモチーフに違いありません。
かつて印象派の画家たちが提示した光を色斑に分解するという数値的なあり方から離れ、自ら定めた色の閾値の中に絵具を押し広げ微妙な色の諧調で到達した光=色の世界なのです。
第二次大戦後、命を得て戦争から帰った岑さんはやや高い視点を持つ不連続な水平線によって天と地が断ち切られた作品群で注目され「海辺」で第一回安井賞を受賞しています。その後春陽展を舞台に自らと外の世界に問いかけるようにモノトナスな独自の色彩世界を提示して来ました。一見静謐なその世界は時代と深いところで向き合いながら絵画史そのものを独自の色彩文学として読み直す試みのようにも見えるのです。
春陽展が生んだこの巨人の長い歩みはこれからどこに向かおうとしていたのでしょうか。
この大きな謎と課題は僕らが受け止めて行きたいと思います。
岑さん安らかに。
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