今年一月、小林裕児はライブペインティングで虎を描く、という新たな試みに挑戦した。十年以上続くライブペインティングで何を描くか予告してのパフォーマンスは初めてだった。その案内状には次のように書かれている。
『私の絵のなかには多くの動物が出てきますが虎を描くのは初めてです。
調べるまでもなく日本にはたくさんの虎の絵があり、金毘羅宮の丸山応挙による襖絵をはじめ若冲、雪村など、江戸の画家で虎を描かない作家を探すほうが大変なくらいです。
しかし、日本に虎はいません、いったいどのようにして虎を描いたのでしょう。
例えば若冲の虎は朝鮮王朝時代の李公麟の絵をそっくり模写しています。朝鮮より持ち込まれた虎の毛皮をみて描いた画家や足の剝製を所持していた画家もいたそうです。
さらに、前述の李公麟の虎は中国の宋時代の絵をもとに描かれています。
一匹の虎図が中国、朝鮮、日本と文化交流の中で育まれていった事に強い関心を持たずにいられません。
中国にも朝鮮にも虎は生息していました。そこで描かれた虎たちは実際に見た人々の恐れと虎の持つエネルギーに満ちています。
日本人にとって虎はわずかな情報を果てしなく膨らませて描くあこがれの動物でした。
今日では、私たちは動物園で本物の虎を見ることが出来ます。上野の動物園ではガラス一枚へだてるだけでベンガル虎の重おもしい足や鋭い眼を間近に見ることさえ出来ます。
恐ろしく、カッコよく、親しまれ、しかも絶滅の危機をかかえて生きている現在の虎。
今の私たちにとって虎とはいったい何でしょう。
何枚もの虎を描いているうちに、私のなかに満ちてきた虎への思いのようなものを大きな紙の上に描いてみたくなりました。』
そしてライブの当日、若い役者のチョウソンハが全身を赤く塗り、黒い隈取を描いて虎になった。劇作家の広田淳一は「車内のトラ」などの3つの物語を読んだ。現代をテーマに風刺とおかしみ、悲しみを含んだ物語は韓国の伝統楽器チンを鳴らしながらゆっくりと踊るチョウソンハの虎の動きと好対照をなしテンポの早いセリフは緊張感を高めた。
物語の後にコントラバスの齋藤徹が登場し、韓国シャーマンから学んだ祭祀音楽で虎とのかけ合いを展開する。その中に登場した小林裕児がまず描きだしたものは電車。観客は驚いてどよめく。次に画面の中央にまず虎の目が現れ、コントラバスの響き、チョウソンハの哀切な歌とともに盛り上がり、巨大な虎があらわれてくる。
この時間と場所を一緒にした人たちは、現代を映す広田淳一の物語、韓国をルーツに持つチョウソンハの踊りと歌、そして西洋楽器をアジアの心で演奏する齋藤徹、すべて違った位置を持ちながら、虎という動物の持つ、エネルギーへと収斂されていくひとつの空気を感じたはずだ。
このパフォーマンスは現代のクリエーターたちの中にも虎が深く根付いていることを明確にさせた。また動物の存在が人間の文化形成の上でいかに重要な役割をになって来たかを知らせた。しかし一方で人間は多くの動物を絶滅に追いやってきたのだ。
今ここで、一人の画家の作品上に現れた動物との交感の在り方を考え、失ってはならない動物文化について思いを巡らせてみたい。
1999年より始まるダンス、演劇への傾斜、2000年に始まったライブペインティングは小林の作品に新たな展開をもたらした。
演劇は小林の絵に明確な物語性を注入した。2005年には絵の題名に演劇のタイトルを付けるようになった。「木の上のハムレット」「メディア」など。しかしそれは演劇の一場面を再現するために描かれたのではない。小林の中に蓄積された演劇の記憶と、動物の記憶、すべての生活の記憶の集積が、小林の想いというフィルターを通過し、筆先から現れてくる形であり、自身でも予想がつかない「物語性をはらんだイメージ」としか言いようがないものだった。例えばハムレットの絵を見ると、木の上にハムレットが居ること自体奇妙なのに、服のポケットから野鳥が顔をのぞかせている。さらにゾウ、ペリカンなど身近とは言い難い動物たちも堂々と登場し、主人公の男や女とわたり合いあるいは小さく肩や背中に乗り、重いゾウが空を飛んでいたりする縦横無尽の出没スタイルとなった。そしてそのイメージが観客の心に新たな物語を生じさせる事を期待さえしている。こうした小林の最近作にみられる動物のありようは何を語っているのだろう。
今年5月もう一つのパフォーマンスが行われた。小林裕児の新作「蕎麦の初花舞う処」から想を得て女優の内田慈が演じた歌と語りの短いパフォーマンスだが、内容は「鶴の恩返し」のパロディで、路頭に迷った現代の鶴女は、そば屋の店主の差し出す一杯の蕎麦に助けられる。恩返しに機を打つのではなく蕎麦を打つ、しかし鶴と見破られ、飛ぶにもすでに羽はボロボロ思い余って口から出た言葉は、「やっぱり貴方のそば(蕎麦)がいい」めでたし!といった物語だったが、これは女性ならではの鋭い感覚が創りだした話だ。
「鶴女房」は誰でも知っている昔話、そしてどの民族も持っている異種婚姻譚の一つである。人間と動物の婚姻、小林の絵にはその視点が埋め込まれているように思える。
都心から遠く離れた山里に住み、隣家が100メートルも離れていれば、タヌキは庭で昼寝をするし、キツネは車の前を堂々と横切ったりする。庭のアヒルの池に野生のカルガモが飛来することもよくあった。
小林はそんな生活の中でたくさんの動物を飼った。犬、猫、ウサギ、アヒル、カルガモ、ツバメとカラス(巣から落ちた)、ゴイサギ(田んぼの鳥よけの網にからまっていた)、そしてヤギ。どの動物もペットショップで購入したわけでなく、それなりの訳があって小林のもとに来た。そして長短はあるものの共に暮らした。
「人は高度に発達した言葉以外のコミュニケーションを持って、他の種の動物が示す行動や態度、感情を読み取ることができる。」とは「動物文化誌事典」よりの引用だが、私たち人間は、その能力によって多様な動物と関わり多くの文化を創ってきた。洞窟に動物たちの素晴らしい絵を描いた。動物を神格化し、一方で家畜化した。そして多くの物語を創り出した。
「かつてアメリカインディアンは、女性が自らの乳房をすわせて子グマをそだてるのがごく当たり前であると聞いていた」(Galton、1865前述書)というような動物との深い関わりの中から異種婚姻譚が生まれたことは容易に想像出来る。
小林の絵によく出てくるヤギは、まだ子どもの時にもらい受け、哺乳瓶で牛乳を飲ませて育てた。それから14年間生活を共にした。アトリエで小林がコホンと咳をしても「メェー」とヤギは答えた。それは異種でありながら何かを超えた情愛深い関係だった。
太古から人は多くの動物との間にこのようなコミュニケーションを気の遠くなるほど長い間重ねてきた。その中で生まれた伝説や昔話は人間の大きな文化遺産でもある。それは多様な動物の存在抜きにはあり得なかった。
小林の中にもそうした人間の記憶がしっかり埋め込まれ、日常の経験や、演劇、小説、ダンス、音楽などの刺激に触発された時、画面の上に男と女そして動物として現れてくる。
馬に寄りそう少女は逞しい雄馬の花嫁かもしれない、ヴァイオリンに聴き入る山羊は少女が変身したもので、美女に抱かれる白鳥はワケありの若者かもしれない。
小林は常に言っている、「僕は人が描きたい。人と人の関係を描きたいんだ」と。
初期の作品から今日まで、風景のみの作品は皆無と言っていい小林の絵では、常に男と女が主人公であり、いつも濃厚にエロスをはらんでいる。それは洞窟壁画を描いた人々が動物の力強さに憧れた想いに似て生命力に満ちたエロスでもある。
小林はまたこうも言う。「僕は異界を描いているんだ」。「異界とは?」の質問に、答えは明解に出てくることない。
異種婚姻譚の中で、動物は人間界と異界の間を行き来する。鶴女房は美しい女から鶴へ、葛の葉では、狐から人へと。演劇もまた、舞台上に異世界を出現させ観客をいざなう。絵画は、平面でありながら、イリュージョンとして別世界を創りだす。画家である小林裕児は、異界とも言える彼の絵画世界と動物を先導者にして行き来しているのかもしれない。
太古の人々がその強いイメージ力で動物の精霊界と交信していたように。