「春陽展90回記念展」に向けて
春陽展90回記念展企画委員会座長 小林裕児
春陽展は再来年2013年に90回展を迎える。大正12年、上野公園竹の台陳列館で第1回展が開催された。搬入2466点、入選51点、創立会員は足立源一郎、梅原龍三郎、倉田白羊、小杉未醒、長谷川昇、森田恒友、山本鼎、会員推挙として、石井鶴三、今関啓二、岸田劉生、木村荘八、椿貞夫、中川一政、山崎省三、山脇信徳、萬鉄五郎というメンバーで再興日本美術院洋画部と草土舎の合体という性格があった。
結成趣意書には「既成会への社会対抗として興らず 単なる芸術家の心を以て因縁相熟したるものです」「各人の希望は畢竟 製作生活の安静充実と 其所作の同胞の認識と愛念とを順当に獲得せんとするにあります」とうたっています。そこでは「各人主義」という微妙な言い回しで会という組織の求心的主張よりも作家それぞれの作家活動の自由を保障するというちょっと不思議な文言があり、「画壇の自由人の集まり」(読売新聞)という指摘を受けたりもした。一見組織としてあり得ない文人画的姿と理念がその後、春陽会を強く性格付けると共に春陽会のDNAとして大正、昭和、平成という激動の時代をくぐり抜け、かくも長くにわたって存続させたのだと考えられる。またこの理念こそが創立会員に続く第2、第3世代と時代を代表するに足る大作家たちを輩出させたのだと思う。
このような会の性格上、歴史を語る時、時間は作家個々の閉じたそれぞれの濃密な空間の中、ブラックホールのようにアトリエの空気の中に収斂してしまい歴史を総体としてつかむことは極めて困難で、様々な時の様々な断片化された言説の寄せ集めの中に春陽会の「歴史」や「年代記」は拡散してしまうだろうと思われていたに違いない。
おそらくは神話化された伝説の中に様々な事々や言説がすり減り沈み込む前に多大なエネルギーを費やし70回展を記念して「春陽会七十年史」は編纂された。会のそこここ、個々の作家の中や地方組織、それぞれの研究会に潜んでいた断片を丁寧に掬いだし春陽会内外の力を集め、ここにはじめて春陽会の自画像をくっきりと描いて見せたのだ。これが80回春陽展での「春陽会第二世代の作家たち展」につながり春陽会を目指す新人への思い切った顕彰、80回展後の「未来会議」へとつながった。
さて春陽展90回記念展企画委員会はこのような流れをふまえ70、80回記念展に携わったメンバーを中心に100回展おも視野に入れながら2009年に春陽展90回記念展企画委員会小委員会を立ち上げた。小委員会発足以来、度々会合を重ねてきたが、次第に中身も固まり、90回記念展に向け88回展から以下の通り実施に移されることになった。
春陽展90回記念展では次の三つの事業を行う。
1・ 「第三世代の作家たち展」として88回展よりエポックを作り上げた第3世代の作家たちを取り上げ春陽展本展の会場内で展示を実施して90回展までのアプローチとする。まず本年は戦後という時代に強い光彩を放ち、設立されたばかりのシェル賞、安井賞などを受賞した五味秀夫氏、田中岑氏とする。
2・ 「春陽会新世代の作家たち展」として次代を担う作家たちを選び90回展会場内で個展形式の発表を行う。準備期間を考慮して指名作家を本年度受賞会議までに数名選出、指名する。選考は春陽展賞委員会に委任、搬出、搬入の資金援助とあわせ簡単なパンフレットを作成する。
3・ 春陽会の歴史を語るうえで創立当時から深くかかわり研究会にも強い影響を与えた木村荘八の展覧会を春陽展90回展を記念して外部で企画、百貨店、美術館で開催するように働きかける。これには木村荘八研究の一人者である東京文化財研究所の田中淳氏(2,011年12月まで)、小杉放菴日光美術館の田中正史氏にも加わっていただき、これは現在かなり具体的になりつつあるが、展覧会実現に向けたプレゼンテーションの文章とこの間の経過を次に公開したい。
春陽展90回展記念特別企画 企画書
天空からの眼差し 木村荘八―よみがえる東京―
2013年 春~夏
東京スカイツリーが立ち上がって来ています。すでに各方面から東京の新たなシンボルとして大きな関心を集めています。東京タワーの倍、関東大震災で倒壊した浅草12階(凌雲閣)のなんと12倍以上、その直立する天空から眺める東京はいかなるものでしょうか。
長い歴史を持つ春陽会は2013年春90回展を迎えます。創立会員の天才、巨人の中にあって独特の位置を占め長く活躍を続けた作家に木村荘八が居ます。荘八は明治の勃興期浅草の象徴の一つ、いろは牛肉店に生まれ美術を目指しながら文壇、演劇界などに交友を持ちジャンルの壁を超えて広く活躍しました。
荘八は絵を探求しながらも、まずは文筆家として其の活動を開始、西欧の先進的な芸術思潮をいちはやく翻訳、紹介し、評論活動でも活発に論陣を張り美術界に大きな足跡を残しました。「パンの会」「新宿遠望」などの油彩画の代表作のみならず、「文学6分美術4分」と言っていた挿絵のジャンルで確かな造形力と緻密な考証、豊かな文学的素養を発揮、「墨東奇談」『東京繁昌記』などで大きな成果を上げました。
荘八は新思潮の積極的な紹介者でしたが盲目的に西欧に追随するだけの人ではありません。洒脱な東京人として、「ちょうどぶつぶつと炊けるご飯の米粒が見えるように東京を眺めた」のでした。この今から見ればけして高いとは言えない50メートル位の高さが良かった。この米粒の見える世界を浅草十二階(凌雲閣)の上から、あるいはモーターボートや時にはセスナを駆使し描いたのでした。それは明治、大正、昭和という激動の時代を東京と共に歩み、独自の批評精神と目線で自らの表現世界を貫くことでもありました。
江戸から東京そして現在のTOKYOに至り半ば砂漠化したかのようにも受け取られがちな現在の東京、しかし今あらためて木村荘八の強く暖かい眼差しを通じて、かつて在りまた現在も在る、懐かしくもあり新しくもある東京を時空を超えて俯瞰したいと思います。
この企画は東京スカイツリーと連動して東京に豊かで新たなイメージを与え、現代を生きる私たちに希望を与え、勇気付けるに違いありません。
社団法人春陽会 90回春陽展記念事業実行委員会
監修
東京文化財研究所 企画情報部部長 田中 淳氏
小杉放菴記念日光美術館 学芸課長 田中正史氏
経過は以下の通り。
2010年9月4日の企画委員会で『天空からの眼差し、木村荘八・よみがえる東京』をタイトルと決め髙島屋本店・支店及び日光美術館での展覧会を行うための企画書を作成し、髙島屋にプレゼンテーションを行う事が決定された。
髙島屋美術部長の中澤氏に企画書を提示、協力を要請した。中澤氏は企画に強く興味を示され髙島屋内部での提案を約束された、そのうえで実現するための幾つかの問題点を指摘、特に資金面では新聞社やNHK等の後援があることが望ましいとのことで双方心当たりを探るということになってその日の会談は終わった。10月の半ばには中沢氏よりその後の進展具合の報告もあった。
しかし様々な方面に働きかける中で木村荘八展に関して同時期同企画が東京ステーションギャラリーのリニューアルに合わせて東京新聞後援で進行していることが判り、急きょ東京ステーションギャラリー館長の冨田章氏と接触を図った。
春陽会と冨田氏は双方の現状を出し合った上で協力を約束した。この時点で問題は二つ、すでに某新聞社と後援依頼の段取りをとっていたためこちらはすぐに中断、すでに話を通している髙島屋との関係では、髙島屋かステーションギャラリーかという問題があり企画自体を広げて東京ステーションギャラリーと髙島屋の共催を提案したがこれは東京ステーションギャラリーがリニューアルの準備期間で無理とのことで、展覧会の性格やすでに東京新聞が動き出している現状を踏まえ、東京ステーションギャラリーを選択することに決め先に話を持ち込んだ髙島屋に了解を求めた。髙島屋も快諾、さらに髙島屋の基金に応募して木村荘八のシンポジウムを開いてはという嬉しい提案も頂いた。
したがって展覧会は春陽展90回記念・木村荘八生誕120年記念として東京新聞、春陽会後援で東京ステーションギャラリーで開催、その後愛知県の豊田市美術博物館館、小杉放菴日光美術館を巡回、そのほかの美術館につてはさらに追及することが決められた。
以上が現在までの90回記念展までの進行状況であり、会の現在と未来を我々自身も知りながら会員,会友をはじめとした春陽会にかかわるすべての方々と共に春陽会の存在を力強くアッピールする場としたいと考えている。