古希を迎えた平井誠一さんと私は歳も近く、親しい間柄でもあり、毎年開かれる春陽展では、錆青とくすみを帯びた独特な黄の世界を楽しんできた、しかし長い時を経るにしたがい、その造形世界は点描による緻密な描写世界に変容してきたが、近年林檎をモティーフにした大胆華麗な色彩世界へと変貌を遂げ、見るものを驚かせてきた。
しかしながら作品に会うのは毎年ごとの一期一会であり、線的な時間の連鎖の上で成り立っている作者自身の創造的深層を見逃していたかもしれない。もしかしたら、いつも少し遠くを見るような眼鏡越しの視線と温厚な人柄に惑わされて大事なことを見落としていたかもしれない。
今、ここに年代を追って春陽展に出品された作品たちの資料をあらためて眺めていると展覧会のサブタイトル「―色彩思考―」に隠された奥深い底流の思考遍歴に気づかされ、今までにはない感慨を覚えずにはいられない。
ここで私が持ちだしたいのは、著名な椅子で知られるデザイナーのイームズ夫妻の「パワーズオブテン」という大変ユニークな絵本だ、その冒頭では、シカゴのとある公園で寝そべるアベックが俯瞰のカメラで提示される、カメラは10の10乗でどんどん遠ざかり、地球はおろか太陽系からも飛び出し銀河系の外まで飛び去って行く、一転、今度は人の体に潜り込み極限の微小世界まで我々を連れて行ってくれるのだ。
平井誠一さんの生涯の作品を年次順に並べて見ると、やはりここにも極小と極大の世界のアナロジーがあり、俯瞰する鳥の目を通して、長い時間軸をかけて低く高く、試行を繰り返しながら、真摯に取組んできた作品群に出会うのだ、絵の中に鳥と共に入り込めばこの作家の絵画思考の深まりを追うことが出来るだろう。
始まりに描かれた鳥たちは恐らく飛ばない(飛べない)鳥と設定されていた、原風景のなかにいたに違いない鳥たちは知的、安定的に構成された画面のなかで居場所を得、それなりに充足しているように見受けられる、しかしあるとき鳥は飛翔を試みる、そしておおきな群れとなり、乱舞の繰り返しを経て、いつしか隊列を組み、天と地を切り裂きながら前方の景色を後方へと追いやる、早く低い飛翔で遠方に、そして「南へ」「東へ」と続く道路に出会ったのだった。
やがて「目」だけの存在になった鳥は、異国の空から下界を見下ろしながら一旦は午後の光を受けソリッドな壁を際立たせる異国の古い街区や建築物の造形に目を止める。しかし更に遠く飛び続ける鳥は「目」を前方に転じ、画業のはじめから一貫して見え隠れしていた天と地の遠い裂け目HORIZON=地平を目指す………広い視角を持つ鳥の目はいつしか眼下に一本の林檎の木を見出した、命の点(てん)苔(たい)としての林檎アイコンの朱点、鳥の「目」はどんどん高度を下げ、命そのものの象徴、たわわな実をつけた林檎樹にフォーカスされた。
かつて青と黄の理知的とも見えた平井誠一さんの世界「鳥の目」が林檎を点苔として捉えそれを抱いた時、どんどん近づき視界全体一面に広がった林檎のドキドキするような朱にたどり着いた、生命のエロスを含んだ過剰とも思える色彩の乱舞のなかに降り立ったのだ。林檎は熟れきり十分に蜜を含むだろう、そして降り立った鳥の腹を満たし、我々の「目」を喜ばせるのだ。
さて、腹を満たされ充足した鳥は何を見、何処に向かうのだろうか、私は平井誠一さんの、誰しも予測不可能ともいえるこれからの絵画世界を今の今から楽しみに注視したい。
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