「繭袋」、このなんとも魅惑的な素材に出会ったのは1994年のことでした。私の画集のNO.5と7が描かれている紙がそれです。
この紙に出会うことにより私は進むべき方向を見出したのです。少し説明させていただきますと、こうなります。即ち、通常画家が絵を描く場合、洋画家であれば皆様ご承知のように麻布に白色塗料を塗ったキャンバスを画材店で買い求め、市販されている木枠に張ります。その上にそれぞれの方法に従い油絵具などで絵が描かれる訳です。あるいは画用紙に水彩絵具やパステルの場合もありますが、つまり真っ白なキャンバスや紙にまっさらな気持ちで無から何物かを立ち上げる、そんな少しばかりストイックな個性的で独自性に満ち溢れた芸術作品の実現をめざすのが画家のあたりまえの姿といえるかと思います。
ところが「繭袋」はまっさらなキャンバスや紙と対極にありました。何十年と繰り返されてきた労働と運搬の歳月の刻印が幾重にも重なる補修の痕や様々な沁み、汚れ、皺となって顕れています。歳月のみが造り出す分厚い時間の造形がそこにはありました。これらが抱えてきた重みは底光りをするオーラを発し強く存在して居ました。
これに絵を描いたら面白いかもしれないと思い立った私はこの袋を切り開き長い間アトリエの壁に貼り付けておきました。そして或る日NO.7にある素描絵画を描いたのです。それは今まで経験したことの無い至福の時間でした。ことばに載せるのは難しいのですがそれを敢えて言えば、今まで何となく空中で捉えていたイメージが直接紙の方からやってくるのです。歴史の中に縦に入ってゆくとでも言ったらいいのでしょうか。日頃閉ざされているアトリエの壁に穴を開けるべくねじり鉢巻で四苦八苦しているのが嘘のように風通しが良いのです。素材との距離がぎゅっと縮まり、紙と直接対話をしている実感がありました。この作品以降素材の持つ意味は私の中で決定的に変化しました。しかしながら戴いた繭袋は直ぐに使い果たしてしまい、様々な人に聞いても、週刊新潮の掲示板のコーナーに載せたりしても全く反応が無く、これはもう手に入らないものとしてあきらめておりました。ところが友人の画家である赤井さんがこれを見つけてくれました。しまもつてからつてへとたどり見ず知らずの方が見つけてくださったという事で大変驚かされました。
只々感謝です。
戴いた物の中に私の母親が生まれた大正中・・の商標が貼り付いた袋もありあらためて長い長い年月を毎年使われながら生き抜いてきたこの袋の時間を実感しております。
しばしアトリエの壁に掲げ、このこの紙の歴史の最後に繭と時のつぶやきに耳を傾けながら絵を描いてみたいと思います。ありがとうございました。
2004.5.17 小林裕児