絵を描きだしてから40年も経ると、自分の絵について語る機会が多くなり、一見その時々の思いに反応しながら描いてきた絵が、何かしら変わりないあるものを常に抱えていたようにも思うようになりました。その一つが動物です。
出不精なせいか展覧会でもなければ滅多に海外に出ることがなく、東南アジアましてアフリカへは一度も行ったことのない僕なのですが、使い込まれた古布や古紙が好きで1980年代の後半から骨董店やかんかん等に出没、日本やアジア諸国、オセアニアを中心に少しずつ収集、それらの古布や古紙に誘われるように新たなキャンバスとして木炭や黒鉛絵の具などを自製し、自由に絵を描き始めました。
2008年7月、北京ビエンナーレに招待され2005年春陽展出品作「マッチ売りの少女異聞」F130を出品しました。
1948年に東京で生まれ、1974年に東京藝術大学の大学院を修了するという、小林裕児の経歴は、当時の日本の状況から見てもその生活のほとんどが、欧米文化の影響のもとにあったと言える。ゴヤ、ベラスケスの絵画に強く魅かれながら始まった美術学生の生活も、終了間際には、すでに日本の江戸美術へと興味を変えていってはいたが、基本的には、ヨーロッパ美術の技法と造形意識のなかに浸っていた。
最近、やわらかい使いふるしたタバや布和紙素材へのドローイングをたびたび試みている。何か歴史の中に直接縦に入り込んでいくような小さなゆらぎがあるのがうれしい。…
1. 油絵を始めたきっかけは? 17歳の時、あこがれの油彩道具一式を手に入れて近くの庭園を描きました。ごく平凡な文学好きな少年だった僕はそれ以来ずっと描き続けています。
一寸記憶が無いほどに久しぶりに自画像を描いた。はじめは旅先のホテルのメモ帳に備え付けのブルーブラックのボールペンで、もっと良く見ようと今度は自宅の鏡にでき得る限り顔を寄せて。結構汚くなっている表面のディテールを面白がって追いかけているうちに思い出した…
佐々木正人著「知性はどこに生まれるか」講談社現代新書 トルーマンショウという映画を覚えているだろうか。ご覧になっていない方のためにちょっと紹介しよう。ある一人の青年が空間的、時間的環境を両親や妻などの人的な関係も含め、全て本人のためにのみ極めて精巧かつ人工的に作られた観察装置中におかれていて、そのことを知らないのは世界中に主人公のみ・・・。
このところ素材の濃密さに惹かれエンコスティックに取り組んでいる。聞き覚えのない向きも多いのではないかと思うが、この技法の期限は古く、恐らくエジプトの木乃伊の棺桶あたりにあるらしい。アメリカあたりでは結構盛んで、かのジャスパージョーンズの的はこれで描かれていたりする。要するに蜜蝋に顔料を溶かし込めばよ…
いつも起きぬけにブラインドを開けるとそいつが居て、何度かは取り除いたのだが、その場所が彼女のベストポジションらしくついには定位置を確保。去年の寒い夏を何とか乗り切り、この冬の始まりに子孫を残し、干からびて蓑で掃きとられるまでそこにいた。それはよく見かける女郎グモ(絡新婦、斑蜘蛛)で、腹の方をこちらに見せ二間ほどある居間の南窓を占領していた。