1. 油絵を始めたきっかけは?
17歳の時、あこがれの油彩道具一式を手に入れて近くの庭園を描きました。ごく平凡な文学好きな少年だった僕はそれ以来ずっと描き続けています。
2. 師は誰ですか?
春陽会の故 中谷泰先生です。のんびりした調子で「良い絵はどこか間が抜けているものだよ。」と言われ面食らったのをよく覚えています。
3. 1989年に画風が変わった訳は?
この質問は今まで百回位は受けているのですが、何時も、もやもやと居心地が悪く、質問を受けるたびに少しづつ力点が移動して違う答え方をしてしまうのです。しまいにはある雑誌の取材で佐々木豊氏に「おまえはうそつきだ、そんなはずはない」と看破されてしまいました。おそらく自分の中では組織され体制化されたように見えていて実はずっと折り合いが悪く、結晶しきれない鉱物の様な何かがせめぎあい、耐え切れずに安全弁が働いたのだと思います。一度は、空気もろともに切り取り自分から距離をおく事が出来たと信じた視覚の円錐、数値化された永遠の彼方や物の表面自身の存在感、それらは描くほどに自分から離れ飲み込みきれない異物感を胃の中に抱え込むことになり、実際数度にわたり失神騒ぎを引き起こしました。そんな矛盾が一挙に噴出し、今のような線と色彩の不安定な絵画世界へといざなったと今のところは思っています。
4. 「夢酔」についてコメントをお願いします。
「夢酔」は阪神大震災とオウムの事件がおきた年に描かれました。なんとも形容しがたい世紀末から21世紀に続く重い時代の幕開けの年でした。自身の不安を宙吊りにした作品でこれ以降一寸方向にぶれが起きたと思います。阪神大震災が起きたその日にドリルで大きな穴を穿ち煮えたぎった鉛を鋳込んだ作品もあります(※)。 ※「砂丘考」明星大学蔵
5. 使い古された布や紙に描くのは何故ですか?
古い素材は多くの人に触れられ使用され熱を帯びた物だけが持つ時間の厚みを孕んでいます。この素材たちの歴史にほんの少しだけ干渉することによって作品は生まれるのです。きっと彼らは僕自身のパーソナルや物自身を超える何物かに変容しているに違いありません。こうした素材達はたいがい幾枚か壁に長く懸けられたり、そこいらに放置されたりしてただただアトリエの空気に馴染むのを待ち続けます。
6. 作品を見ていると何かゆらぎのようなものが感じられますが?
大変面白い指摘だと思います。改めて考えてみると、そうかも知れないと思い当たるところがあります。ここ10年ほどDALER=ROWNY社のスケッチブックにドローイングを続けおよそ1万点にも達しようとしているのですが、エスキースやら対象を置いて描いたり、作品化した完成度を持った物もあるのですが、大半のドローイングは殆ど真っ白な頭で鉛筆がまず置かれ、描く刹那に紙の上に掬い上げるようにイメージが定着され紙上でバランスが採られます。ですからけして突然思いついたり、頭のどこかにあるイメージを引き写したり、何所からか降りてきたりするものではないのです。そんなスケッチブックをたまにパラパラとめくって見るとまさに「ゆらぎ」ながらメタモルフォーズしていく形態の流れが仄見えてきます。その意味で「ゆらぎ」は確かにキーワードかもしれません。
7. 朱色をこだわっているように見受けられますが?
硫化水銀の重い質量のせいだと思います。この限りない微細で不透明な絵具の粒子が半透明と感じられるところっまで薄く曵き伸ばされ空間を満たす時、空気は冷たく熱いゲル化したものとして立ち顕われます。
8. 描かれる人物はいったい誰なのでしょうか?
我々自身だと思います。この不透明で困難な時代を生き延びる人類は空気の中を、水の中を泳ぐ魚のように重力から中立したフォルムに小進化して生き延びなければならないでしょう。
9. ライブペインティングについての考を聞きたいのですが?
この実験は機会があるごとに繰り返し続けてゆきたいと考えています。コントラバスの斉藤徹さんは即興について「例えば川の流れの中に立ち止まった時に雑音も含めていろいろなものが聞こえてくる、そうしたものを自分の中を通過させることだ。」と言っています。即興の場とは基本的には音の場だと思います。そこに参入するドローイングは蓄積される形が時間の場を作り出します。この二重のエネルギーはそこに立ち会う、あるいは見つめる観客も巻き込み、描かれたものという絵画の、消え去るものという音楽の双方の宿命を解き放ち、エネルギーの場をそこに作り出すのです。
2003.9 小林裕児