2008年7月、北京ビエンナーレに招待され2005年春陽展出品作「マッチ売りの少女異聞」F130を出品しました。
この作品を選んだ理由はカタログのレジメにも書いたのですが、グローバル経済の新たな主役として躍り出た今日の中国が、僕がインスパイアされた別役実初期の傑作戯曲「マッチ売りの少女」の舞台を下敷きに描かれた時代、高度成長期の始まりのころ頃の日本と重なるところがあると考えたのです。2003年、国立劇場小ホールで観劇した舞台は、坂手洋二演出、寺島しのぶ、手塚とおる、富司純子出演で、アンデルセンの有名な童話に日本の戦後史を重ね合わせ、その中を生き抜こうとする人々の傲慢にして哀しい姿を独特の語り口で心の奥まで分け入って描ききった作品で、強く感銘した僕は自分なりのキーワード(藍色、空舟、みもざ等)を設定し2年あまりかけて自分なりの作品化を試みました。
北京ビエンナーレで開催されたシンポジウムでも日本から基調報告をした南嶌氏が東京オリンピックや新幹線、万博などの日本の戦後史と美術の関わりについて映像資料を交えながら日本の成功と失敗から得るものも多いのではないかと語っていました。
バブル時代の日本の上をゆく壮大なプロジェクトでもうもうたる埃の中で建設が進むオリンピック施設や北京版ソーホーといわれる798街区で巨大な作品を展示した個展会場を見るにつけその思いを強くしました。しかしながら何で中国人はなんでも大きく作るんだろうとも思いました。
展覧会場で世界中の作家たちの作品の間に並んだ僕のマッチ売りはシュッと何かに火を付けただろうかというのが僕の展覧会の印象でした。
広い会場を見渡し世界中で様々な表現の試みが見られる中、やはり墨による表現がみられる中国画家たちの試みには注目しましたが、表現の上では途上という感じでした。それよりもむしろ、大きくユーラシア大陸を挟んだイギリスや北欧の作家たちに日本や韓国の作家に通低する繊細な淡い表現とモダニズムに対する微妙な距離を置く態度を感じ大陸の中に自分の絵を置く面白さを肌で感じることが出来たのは大きな収穫でした。
帰国前日、日本の出品作家たちは入江先生と王府井で食卓を囲みました、そこで皮も身も食べる本場の北京ダックは最高でした。
小林裕児