出不精なせいか展覧会でもなければ滅多に海外に出ることがなく、東南アジアましてアフリカへは一度も行ったことのない僕なのですが、使い込まれた古布や古紙が好きで1980年代の後半から骨董店やかんかん等に出没、日本やアジア諸国、オセアニアを中心に少しずつ収集、それらの古布や古紙に誘われるように新たなキャンバスとして木炭や黒鉛絵の具などを自製し、自由に絵を描き始めました。
そうした物たちの中にアフリカの大地を引き剥がしたかのような鉄錆色のタパや魅力的な藍染や織物がありました。
ライブペインティングなども後に手がけるようになる自分にとって、沢山の人と時間が作り上げた作品ともいえる古裂や古紙のクオリティーは製品化され均一化したのっぺりと白い紙やキャンバスにはない強烈なにおいを発し、強い実在感で僕の絵心を刺激していました。
1996年には大きなアフリカの総絞りの藍布をカンカンで見つけ162×182㎝の大作「青い国」を制作、その後、クバ族の草ビロード等に熱した蜜蝋と顔料で描くことを始めました。(今では殆ど見られないエンコスティックという技法です)
全体にアジア産のものは感覚に直接入ってくるせいかホームといった感じでなんとなくの入口から入るのですがアフリカのものはもう少しかっこいいというかアウェーで、どこか自分の感覚の外に屹立する抵抗感があり、自分を対峙して接点を探る感覚が強く求められるのです。
日々絵を描いているとときおり即興演奏のグルーム感覚に近い興奮が訪れる事があり、まるで子供のお絵かきのように表現の喜びを味わうことが出来るのですが、それがアフリカのものに描く時には思いがけない時に思いがけない方向からやってくる感じで僕の五感すべてを刺激してやまないのです。
おそらくは極東の、それも高度に衛生化され文明化された繊細な自然愛好家的な感覚世界に住み込んでいる僕にとって、一度も訪れたことのないアフリカはまるでレーモンルーセルの「アフリカの印象」と同様に、描く中で、眠りこんでいる内なる大地感とでもいったエネルギーに火を灯し、思いもかけないイメージを立ち上げるのだと思います。
近頃では古布や古紙に留まらずにビーズ細工や他の小物なども作品に取り込むことも試みていますが、人間の本来の姿への問いかけをライフワークにしている僕にとってアフリカやオセアニアの物たちは演劇、音楽やダンスと共に表現者としての今の今を繋ぎとめる身体の一部になっています。
小林裕児